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 この7月中旬、死ぬまでには一度は見ておきたかった念願のラバウルへ、行ってきました。実はラバウルへはかなり以前から行くチャンスを窺っていたのですが、慰霊団以外の一般の適当なツアーがなく、またマラリアを主とした風土病の問題、治安、インフラの整備状況等諸々の制約条件が足枷となり、ずっと二の足を踏んでいました。

 そんな中、昨年、成田-ポートモレスビーの直行便が週2便に増便されたことで、当方のニーズにぴったりのツアーが、ある旅行社から出され、すぐ申し込みました。ところが集客状況が悪く、催行中止になり、既に行く気になっていた当方は、止むを得ず思い切って個人でラバウルに行くことを決意し、ついでにダイビングも1日する事にしました。

 そんなところへ一人で行くのも多少不安があったので、妻を誘ったところ「なんで私がそんな所へ行かなアカンの!」の一言でアウト。おまけに、「お義父さん(昭和55年他界、先の大戦では中国戦線からビルマ方面へ出征)も行ってないような所へ、よく行く気になったわね」と完全に馬鹿にされました。

 ラバウルは、現在パプアニューギニア国に属していますが、ご承知のとおり、このラバウルは日本人にとって、戦中・戦後を通して、あの有名な「ラバウル小唄」でも知られているように、なじみの深いところです。大戦中は南太平洋方面への戦略的拠点として、ラバウル海軍航空隊が活躍し、またニューギニア・ソロモン諸島方面への出撃・補給基地としてもよく知られているところです。

 ラバウルへは、成田から首都のポートモレスビーに直行便で飛び、そこから国内線に乗り継ぎ、約1時間半でラバウルに着きますが、大戦中は、一方のポートモレスビーは米・豪軍の拠点であり、これらの基地から日米両軍が航空戦を始めとする壮絶な死闘を繰り広げた事を思い浮かべ、方や、今、同じ航空路を観光でラバウルに行くことを思ったときに、感慨深いものがありました。

 ラバウルは、十数年前の花吹山(ダヴルヴル山)を始めとする火山群の大噴火で火山灰に埋もれてしまい、町の機能は30Km南東のココポに移転していましたが、最近になりラバウルもようやく復興されつつあります。ラバウルでは、日本の東北から来られた遺族の関係者の団体や、観光ツアーでパプアニューギニアを回っているグループと会い、またダイビングでは、豪州の女性、シニアJICAで現在活躍中の日本の方や、北海道からきているバックパッカーの姉妹などとも一緒にダイビングを楽しみました。

 帰途またポートモレスビーを経由して成田まで帰りましたが、ここではパプアニューギニアの各地(マダン、ゴロカ、ラバウル、ケビアン)や豪州のケアンズから帰国する人々と一緒になり、マダンでのダイビングの情報など色々とパプアニューギニアの事を教えてもらいました。

 最後に、心配したマラリヤは完璧な対策(もっとも、そんなに心配はすることがなかったとも言えますが・・・)で、全然問題にはならず、逆にパプアニューギニアの未だ自然のままの発展途上の国情と人懐っこいパプアの人々の更なる魅力を感じさせられる旅となりました。