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 先日読んだ本(題名:軍神、著者:山室建徳、出版社:中央公論新社)の中で、終戦時まで東京・芝の青松寺の境内にあった「肉弾三勇士」の3人の銅像のうち、北川伍長の銅像が今も故郷の長崎県佐々町の神社の境内にあることが分り、また北川伍長の遺品などが彼の遺族により、個人の記念館に保存されていると知って、妻からは完全に呆れられながら、彼の郷里へ見に行ってきました。

 爆弾(または肉弾)三勇士の実話は、満州事変直後の昭和7年の第一次上海事変で発生し、総理大臣から一般庶民にいたるまでの当時の日本国民に熱狂的な共感を与えた物語ですが、現地の佐々町で乗ったタクシーの運転手もこの話は全く知らなかったように、既に日本人の記憶から忘れ去られ、今現在、この話を知っている国民はほとんどいないのではないかと思います。

 博多を拠点に、長崎本線から佐世保経由で佐々町に行ってきましたが、帰路は第三セクターの松浦鉄道やJR筑肥線等のローカル線を乗り継ぎ、平戸口、伊万里、唐津を経由して博多に戻りました。博多では中州の屋台で、津軽から来た3人の生保のおばちゃん達や旭川から来た夫婦連れと親しくなり、屋台の女将さんも含め、ほとんどが団塊の世代ということが分り、話が盛り上がりました。

1.三柱神社(佐々町) 境内の北川伍長銅像
 三柱神社はこの町のかなり古くからの神社で、三柱と三勇士は全く関係がなく、伍長の銅像も他の慰霊碑などと同じように敷地の一角に置かれています。また台座の名称も、爆弾や肉弾ではなく、「平和乃礎」になっています。

2.北川伍長 記念館
 佐々町の実家の一角に建っている個人の記念館で、役場を通じて見学をお願いして、案内していただいたお爺さんは、伍長の甥にあたり大正9年生まれとのことでした。伍長の遺品や当時の有名無名の多くの人々が揮毫した書や短歌、絵画等が並べられており、当時の総理大臣の犬養毅が揮毫した「遺烈千秋不磨」や、日本海海戦で有名な東郷平八郎が揮毫した「乃木神社」などの書もありました。

3.松浦鉄道(通称:MR)
 佐世保→佐々→たびら平戸口→松浦→伊万里(→有田)
  *全線約90Kmの第三セクターの鉄道

4.JR筑肥線他
  伊万里→唐津→姪浜→(以遠:福岡地下鉄)→博多→福岡空港
  *唐津から福岡空港まで直通電車あり